京大和について(English)

季節の素材を吟味し、器を選び、盛り付けに心を尽くし、
皆さまの目に問い舌に喜びを味わっていただける日本料理を

京都東山に高台寺畔に山荘 京大和として構え、現在、3店舗の日本料理店を構えております。

移ろいゆく日本の美しい季節の彩りを、一椀一鉢に暫しとどめまして、皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

京大和の歴史

京大和は、明治十年(1877年)に、阪口うしにより大阪で大和屋を開業の後、三代目当主祐三郎により料亭として当地に開業致しました。
建物の由緒は更に古く、中でも江戸末期には桂小五郎など各藩志士代表者の集まる「翠紅館会議」が催されました。現在では京都市の保護建造物に指定されています。

沿革

延暦年間(782~806年)最澄により霊山寺が興される
永徳 3年(1383年)時宗の国阿上人が霊山寺を再興し正法寺と改める
天正年間(1573~92年)正法寺、豊臣秀吉の庇護を受ける
この頃末寺四十二、塔頭十四を数えた
塔頭の一つ東光寺が翠紅館の全身
寛政11年(1799年)この年刊行の『都林泉名勝図会』に霊山淑阿弥として記載あり
天保年間(1830〜43年)鷲尾中納言が東光寺を買い受け改築して一時住居の後西本願寺に寄贈
安政 3年(1856年)周防(山口県)の僧月性が翠紅館で西本願寺法主広如上人に会い海防論を説く
安政 5年(1858年)清水寺成就院の勤王僧月照が翠紅館で西郷隆盛としばしば密会
文久 3年(1863年)尊皇攘夷派の各藩志士代表者の会議が翠紅館で催され、攘夷運動が頂点に達した(翠紅館会議)
元治元年(1864年)この年刊行の『花洛名勝図会』に翠紅館の記載あり
明治期(1868〜1912年)翠紅館が西本願寺より井上周(大阪の実業家)の手に渡る
明治10年(1877年)阪口うしが大和屋開業
明治35年(1902年)阪口きぬが二代目継承
明治42年(1909年)阪口祐三郎が大和屋を相続
大正 4年(1915年)神戸の穀物貿易商・沢野定七が翠紅館を買いとり、翠紅館を以前の通りに建て替える
大正 7年(1918年)茶室を薮内節庵の指導により建てる
昭和23年(1948年)阪口祐三郎の所有となる
昭和24年(1949年)京大和開業
昭和28年(1953年)阪口祐男が大和屋を相続
昭和33年(1958年)クラブアロー開業
昭和45年(1970年)京大和別館新築開業
平成 9年(1997年)京都駅ホテルグランヴィアに天ぷら処京林泉開業
平成20年(2008年)新・都ホテル内に京大和屋を開業
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